7年目上半期前半を振り返って

中野アナにとって5月と6月も相変わらず不規則な日程だったが乗り越えられて「お疲れ様でした」が正直な第一声です。

まず5月5日の最初のめざましin熊本での放送に花を添え、熊本出身の一般の方が是非ともトークショーをやって東京に戻ってほしいと惜しまれるぐらいのカメラの前に視聴者に対するレポートを頑張りました。熊本のいろいろな所(人吉・天草)にいってすてきな思い出を作ったみたいで本当に良かったと思います。

高島彩アナのブログをみて分かった事だが、東京から熊本(人吉・天草)に一度いった後東京に戻り、そしてフジテレビのある東京に戻るというもしかすると「めざましファミリーで」一番大変な日程だったかもしれないにもかかわらず弱音を吐かない所は本当にすごい所だなと痛感しました。

その翌日の6日は中野アナは高島アナと共にラヴシーン@冒険王に出演!!
そこでも中野アナは不屈のがんばりで朗読部分ではないホームルームに出演。
とても面白かったと評判だったし、行けば良かったと後悔する方も多数いたし本当に良かったです。

最初は自分の担当番組の紹介で中野アナは最新の担当番組「ルー列島」をアピールしましたが、お客さんは元気のミナもとを期待していたのを、牧原アナが空気を読み「朝の」をといい元気のミナもとをお客さんのリクエストに応え、唯一二つの担当番組のポーズ?をこなすことができました。

「インターネットで自分の名前を検索したことがある?」の質問で全員”YES”と答えてましたがその次の質問で「インターネットを見ていてはらわたが煮えくり返った事がある?」で中野アナだけ”YES”と答えてました事いう事実をその場に観覧にいかれた方から聞き、大ショックを受けとても悲しくなり、中野アナを新人時代から応援してきた事の想いがこみ上げてきました。自分が悪いのですが、私が振るわなかった年にいろいろな心ない輩が調子にのってきた時期さえ無ければある程度は防げた可能性があったのでは?と思うと悔しくて夜も眠れませんでした・・・。

そのときのことを思い出すと私的で恐縮ですが、自分の蒼さにいまでも涙がとまりません・・・・。懺悔してます・・・。

私自身絶対に「中野アナをネットで自分の情報を調べてがっかりさせることはいけない」とおもい最善の注意をはらいますし、皆さんで中野アナ本人が否定している「ナカミー」をネット上でしない事からでも本当に中野アナを応援している姿勢を力に限りみせて行きたい限りです。私の力は小さいけれど・・・。

最近ファンになった方以外ははしってると思いますが、報道志望の中野アナに対し、優しいアナが「報道を今からでもやればいいじゃん!」と中野アナに言ったんですが「あたしが報道をやって信用してもらえるかな・・」なんて発言もしていたんで、いろいろ本人しか分からないものがあるのかもしれませんが、自分を信じて頑張ってほしいです。

私でさえ「自分」を取り戻すために必死で頑張って皆様に支えられてですが、何とか頑張ってますから「頑張れ中野アナ!!」と声を大にして言いたい限りでです。

5月末には、中野アナとは関係のないことですが局違いの同期で同年代の川田亜子さんがはやくも亡くなられました・・・。
川田さんの事は正直、あまり知らないけどフジとTBSは数年前のムーハをはじめ局の垣根を越えたフジテレビとTBSはバレーの中継でも協力しているだけに同期共演がみたかったです・・・。
同期は切っても切れない絆とどこの世界でもいうだけに、今後中野アナのプラスになる可能性を持つ人が旅たったのは本当に残念です。

この悲しい事件には原因はいろいろな説が語られ現実はわかりませんが、アナウンサー、芸能人関わらず本当に心ないストーカー行為などだけは絶対にやめてほしいという気持ちですし、ストーカー行為には怒りが収まりません・・・。

6月、中野アナは報道への夢へまた前進する事になる。

9日のめざましではスタジオを駆け抜け先日、悲劇が起こった秋葉原にレポートに向かい見事に中継をこなしました。数日前の3日はおだいばからの中継だったがそのとき以上に一生懸命な姿勢が中野アナの表情から伝わってきましたし、その場の雰囲気が前より言葉での表現がピシっとしてきた感じをしていた。

この頃から、中野アナの本当に「報道をやりたい」という気持ちをいろんな方面で少しずつ分かってきてくれているのが感じ取れつつあった。
きっとフジテレビのスタッフさん達は理解してくれていると私は中野アナの活躍をみると信じたくて仕方がない。だから、先月松尾アナを中野アナの代役にし、中野アナを中継にいかせたりという「いきのいいはからい」があったと思いたい。

6月17日のめざましテレビのフラワーロードでは「聖火ランナー60番」として香川丸亀を自転車で走るという動機で登場。その自転車をこぐ途中、高校時代の同級生と10年ぶりの再会となる。種まきの場は中野アナおもいでの地母校の香川県立の丸亀高校。
そこで中野アナが活躍をしていた写真部の部室で思い出を振り返る。

そして、親友から寄せ書き色紙のプレゼントをもらい、中野アナはいろいろな想いがこみ上げてきた様でした。中野アナと友達とまいたひまわりの種は写真部の友人二人と中野アナの名前が書いてあった。”すくすくと育ってほしい”と言う願いをこめて!!
そして中野アナはゴール走行距離は19,0キロを走り終え次のランナーにバトンタッチ。
きっとこいでいる間はいろいろな想いがこみ上げてきたんだろうなと思う。

中野アナが自分の理想に近づけるようにと思う以上、私もそれを精一杯応援がんばらないといけないと痛感させられた。

そしてそ6月末に、7月26~27日ね中野アナは「27時間テレビ」の”進行役”に高島アナと共に抜擢される事が決定した!!
、高島アナはもう何度もこの番組には出演しているが中野アナにとっては”未知の世界”だけに、いろいろと期待と不安がいっぱいあるだろうがさんまさんや、高島アナをはじめスタッフさん、共演者の皆さんに支えられて乗り切ってほしい!!

そのために、サイトをあげてできる限りの中野アナの応援=バックアップをやろうと私はできる限り、していきたい。
27時間テレビには当然スポンサーも沢山いる、それだけに中野アナのがんばり次第では報道で使いたい!!MCで使いたい!!
という声もかかるかもしれないし、目にとまる可能性も考えられる。それだけにベストを尽くして頑張ってほしい。

当然私もファンとして、管理人として頑張る覚悟をきめています。
私としてはお世話になっているみんなと力を合わせて少しでも中野アナにプラスになる方向にしたいのが何よりの希望です。
そのためにもいろいろ企画したり、していきますのでどうぞよろしくお願いします。

最後になりましたが情報提供をしていただいた「烈風氏」、「ゆう氏」、「CZAの頭氏」、「宮やん氏」の4方に心から謝礼を申し上げます。ありがとうございました。

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中野アナ7年目開幕!!

2008年目の4月から7年目となった中野アナ。

今までは高島アナをはじめ、先輩アナとのコンビで引っ張られる側だったが、ついに引っ張る側となる「変化の時期」が来たと思う。
4月から担当する「美奈子&玲子のシネマ☆パラダイス(BS)」では慶応義塾の後輩でもある遠藤玲子アナとのMCを、一攫千金!ルー列島でも同じく後輩の松尾翠アナとコンビというかペアを「先輩」の立場として組む側になった。
当然、遠藤アナや松尾アナは自分よりアナウンサーとしての経験がある「生きた素材」としてみてくるわけだし、中野アナにとってもここは自分が後輩を引っ張れる側として頼れる先輩としてやれるかどうかをスタッフもフジ上層部も期待の意味を込めてみていると思う。
それだけに、中野アナと組んで遠藤アナや松尾アナが安心できたとかいう言動が生まれてくることをとても期待しているし、心無い週刊誌の中野アナは新人の頃から成長していないなど酷すぎる事を書いているのをたまに見るが、見返す様な活躍をしてほしい。

あと、報道での今年の中野アナの変化→成長にも注目していきたい。

4月10日のめざましでは、オープニング直後に移動し、7時過ぎに日本最大のアウトレットモールの中継で頑張っている姿は印象的でした。
元気のミナもとに代役?の松尾アナが出ていたこと同様「サプライズ」に思われた方も多数いたといましたが、中野アナは「報道」がやりたいのです。それが少しずつ回りやスタッフさんが理解してくれているのだと私は信じたいです!!ここから先は推測になってしまいますが松尾アナをアウトレットにいかさず、中野アナの「報道がやりたい」という意思をスタッフさんが尊重してくれたのかもと思いました。それだけ中野アナの報道への想いが通じた事と私は信じていますし、少しずつ皆さんもそれがわかってきてくれているかなと思うと嬉しい限りです。
これからも中野アナは報道志望だけに色々な中継をしたりする事も十二分にありそうだけれど、みんなで温かい目で成長を見守りましょう。

そして、中野アナの7年目がいいスタートを切れるようにみんなで応援していきましょう。
私もサイトをあげて色々と企画を発表したり5月にサイトをリニューアルしたりと最善を尽くしたいと思います。

年度変わりの挨拶が最後になりましたが、今年も当サイトをよろしくお願いします。

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6年目下半期を振り返って(最終編)

2月9日のまる生では5年ぶりに登場となった中野アナはなんとこれが以外にも初MC、それだけ中野アナの日程は多忙で不規則だったのが判るだろう。その日の前日か、親知らずを抜いて右の頬が膨れて大変な中必死で笑顔を絶やさず公開生配信→生放送と頑張る姿が印象的でした。

中野アナは誰の質問FAXに対しても紳士に応えていましたと同時に、高島アナや軽部アナからもFAXが届いている所から、めざましつながりとしても垣根を越えてでも二人との絆を感じました。私のメールはホームランというHNで奥寺アナが読まれましたがDS2の中野アナが最後に読まれた私のメールから、4年の時を越えて中野アナに質問に答えていただき、本当に嬉しかったです。

私事になるけれどこの4年間は長くも短く、色々なことがありましたかけど、中野アナが新人の頃から時の流れにいまだに逆らうことなく読まれ続けていることは本当に嬉しく誇りに思います。

中野アナは歯を抜いてからは本当に原稿を読むときも大変ではないかと高島アナがブログで心配していましたが、痛みに負けずに頑張る姿はさすがだと思いました。2月14日のバレンタインではフジテレビのアナマガプレミアムの視聴者限定でバレンタインメールを送るアナウンサーに選ばれたり事をはじめ、2月は倉田アナとともにアナマガプレミアムの表紙アナに選ばれたと同時に、忙しいスケジュールの中での撮影だったと思いますし、
2月は忙しい中充実した月を過ごされたのでは?と思います。

そして6年目最後の3月は15日に中野アナ初の映画出演となったUDONが全国でテレビ放送される事により、中野アナと香川とうどんとのつながりをなんとなく感じた人も多数いたのでは?と思いましたがいかがでしたでしょうか?

毎年恒例のオリコンの好きな女性アナウンサーランキングでは昨年の三位からワンランクアップし2位に選ばれるなど、中野アナの頑張りが世間に認められた事を管理人として、1ファンとして嬉しく思います。1位は4年連続で中野アナが尊敬する高島アナでしたが、なんと全ての部門で男女ともに1位とは正直「まいりました」としか言いようがなかったですが、中野アナにはいつか1位になって欲しいと思います。

そんな日が来る事を私はずっと首を長くして待っていますから!!その9日後の3月24日のネプリーグSPでは風呂という字が前回書けなかった事を突っ込まれるもの、めざましチームの優勝に見事に貢献!!3月29日のもしもツアーズ、3月31日からはじまった広人苑3と最後まで笑顔を絶やさなかった中野アナに本当に6年目もお疲れ様でした!!

最後にちょっと先の話になりますが4月から中野アナはレギュラーでは初の後輩女性アナと二人で進行役を勤めます。
いつも中野アナ+その他の女性アナとなると高島アナが大半ですが引っ張られる側から引っ張る側になるだけに、成長に期待したいです。
そして、おだいば文化祭LSでも出演が決まってるだけに今後も中野アナの活躍から目が話せないです。

これからの中野アナの活躍に期待しましょう!!

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6年目下半期を振り返って(その2)

2月5日の仰天!女子アナの休日(秘)完全密着SPでは「多忙な女子アナ達が手に入れたつかの間の自由時間で、普段見ることのできない彼女たちのオフショットをカメラが徹底的に追いかけ、素顔と本音に迫っていく番組でしたが皆さんはごらんになられましたか???

中野アナは高島アナと沖縄の宮古島へ旅行に行き、ユタと呼ばれる伝説の霊能者にあう事になり、番組の最後の翌日のスキューバダイビングでは、笑顔を取り戻せて本当に良かったと思います。

沖縄でユタさんに何時までも”セカンド”という「今のポジションでいいのだろうか?と悩み苦しんでいましたが、私としては中野アナの夢でもある「めざましMC」という夢をかなえる形が今後の起用法としてベターだと思います。

数々の特番器用の連続で声が出なくなったりして大変な高島アナの負担を下手す為にも、中野アナがこれから中堅アナとして若手を引っ張る立場としてもいいのではないかと思います。

もし、中野アナがめざましMCに昇格するのであれば、以前八木亜希子さんと小島奈津子さんが月~水(八木さん)木~金(奈っちゃん)という形での抜擢がお台場の看板娘の二人がMCを勤める形になりそうです。その後中野アナの今のポジョションの”情報キャスター”に2~4年目位の若手アナを入れていけば、中野アナも先輩の高島アナに引っ張られたたちばから、引っ張る立場になり、今以上中堅アナであり看板アナである自覚が生まれることに凄く期待しています。

仮に、中野アナがめざましMCに昇格するとなる高島アナと中野アナのめざましツインズの「あやみな」セットが一緒に見れる楽しさがなくなるのは残念ですが、中野アナの夢は「めざましMC」なのです。これはある方に教えられて「あっ」と思い出したのですが中野アナが高島アナと「さんまのまんま200スペシャル(2003年10月1日放送?」のゲストに出演し、さんまさんに「メインキャスターの座をねらっとるやろ~」と突っ込まれたとき、中野アナは否定せず意味深な笑みを描いていた事を覚えています。

昨年、生野さんがショーパンを始めることでパン枠が途切れた原因は中野アナが報道志望のため断った事は大半の方が中野アナは「報道志望」だという事は分かったのでは?と思いますが実際そうであり、少しずつですがステップアップして言っているものと思えますし今の情報キャスターという立場でも昨年の10月の番組公開でかなり出番が増えたところからスタッフからの信頼を勝ち取ったのかな?と感じ取れます。その次のステップとして数時間単位のMCの抜擢も悪くはないですが、階段を徐々に上った方がいいと思い「軽い情報、報道番組」のMCから頑張って欲しいと私は思います。

昨年の中野アナの昨年の「報道での頑張り(担当番組は恒例なので除く)」は、7月末の夢列島後の「FNNスーパー選挙王」で中野アナはフィールドレポーターとして、共生新党の開票センター取材(黒岩氏の密着取材)を休日返上でこなしたりと一生懸命だったし声もはきはきしていました。気が付いた人もいたかもしれないが、中野アナ以外のフィールドレポーターは「ニュース番組のMC」を勤めた実力者だらけ。それでも中野アナは唯一”サブメイン”しか経験が無く「フィールドレポーターの中」で一番後輩にも関わらず引けを取らない頑張りは印象的だった。し、その次は、8月の新潟県柏崎市に新潟県中越沖地震の被災地リポートですが、一生懸命な姿が印象的でした。

そして最新記憶に新しいのが9月7日のJR中野駅からの台風中継だと思います。
偶然にも中野アナが同じ名前の「中野」駅からで本人も驚いた?かもしれませんが、河童を着て長靴を履いて駅前から、商店街から場所を変えてここでも必死に頑張る姿がとても印象に残りました。いつも頑張りを見せてくれる中野アナですが、これだけ同じ報道で今までに無かったことに挑戦していく中野アナを見ていると頼もしい限りです。

知っている方も多数いると思いますが、中野アナのテレビ局の職種の第1希望は報道記者であり、その土台も作ってきたけど入社試験がアナウンサーの方が速かった為、今の道を選らんだ形となった関係か、中野アナが新人の頃からやりたいのは「報道&生活情報系の番組」。でありその夢へ向けて掴み取ろうと中野アナは奮闘しているみたいに感じた。

中野アナが「報道という希望」を望む以上は報道で頑張って欲しいし、それにかつ今までの「笑っていいとものテレフォンアナ&増刊号アナ」や今担当しているIQサプリなどのバラエティーでの活躍もこなし、今年から初のナレーション番組「夢街人」などでナレーションも今いよう磨きをかけて欲しい と同時に、簡単に言えば高島アナのように万能型のアナ
ウンサーになってほしい!!

それだけに中野アナには報道を中心として日程に疲れが出ない程度にバラエティーやナレーションもこなして欲しいと思うと同時に新人アナ看板番組抜擢のパイオニアだけに(彼女の頑張りが堂アナ(テレビ朝日)や夏目アナ(NTV)のへの道を切り開いたと思います)。それに相応しい活躍をして欲しいと願ってやまない。

彼女独特の天性の笑顔をはじめ、人なつっこさから生まれるまなざし、どんな時も前向きな姿勢は素晴らしいものがあるだけに、 これからの報道中心での活躍を凄く期待したいです。

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6年目下半期を振り返って(その1)

当然ながら何所のテレビ局でも年末年始は特番の山で視聴率の勝負を競う。
その中でも、看板アナとなれば局の期待も大きく、中野アナもそれをかけられた一人だ。

12月25日(火)OAの爆笑そっくりものまね紅白歌合戦での中野アナは「あやさん」こと高島彩アナと今田耕司さんとでピアノの演奏をこなし、
沢山の視聴者にクリスマスプレゼントを与えてくれたがおそらく、その練習は不規則な日程の中行ってきた事は検討は付くだろう。

収録後そのままめざましの本番前の生放送にも関わらず、中野美奈子アナは仕事がある事と前向きに捕らえ、決して弱音を吐かず
早朝のめざましもこなしていく。

その後はとびっきりのシチューション、鍵穴、ザ・通アーで中野アナの2007年は「見納め」になったが本当にどの番組も紳士に謙虚で、
一生懸命な所が凄く伝わってくると思う。

2008年は1月2日の新春食いしん坊万歳の司会にはじまり、翌3日のネプリーグSPでは中村アナと口論もあったため、、何名かの方から中野アナと中村アナは仲が悪いのですか?との心配するメールも多数ありましたが、実際は仲がよいですので皆様ご安心下さい。

どうして共演するときは仲を悪くなるの?に関しては中村アナが数年前のまる生という番組で「心無い週刊誌が仲が悪いように書いているから、悪くしてやろうと思ってそうしている」という事を言っていたらしいが、どうも二人はライバルである事は確かかもしれないが犬猿であるまでは
ないことを信じたい。

2002年入社組の二人を見ていれば、仕事熱心なところと前向きな所(中村アナは暗い顔をしているので損をしているけど・・・。)が似ていると感じ取るファンも、2002年からの二人を応援している方も結構いるのが現実である。

その後の中野アナは3日の東京マスメディア会議、4日の頭脳警察「わかるテレビ」、1月6日のアナログSPと地方によっては見れない番組も多少あるかもしれないし、生放送じゃない番組があったとしても、中野アナは「めざまし」という担当番組もこなしながら、そのMCを勤める高島アナが1月7~8日頃に、度重なる特番の為か風邪を引いた為かあるいは両方なのか、判らないが松尾翠(みどり)アナと共にフォローを入れたりする姿を見て「一番辛い立場」の高島アナも頼もしかったのは言うまでもないだろう。

今年の中野アナの目標は「英語を流暢に話せ、今年も海外に遊びにいく事」ですがはたして仕事との両立を乗り越え、達成なるか??

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中野アナの1年目時代(コラム抜擢)

注意)この内容は携帯ユーザーでPCから観覧できない方向けと成っております事をPCユーザーの皆様ご了承下さい

中野さんは学生時代から「報道記者になりたい」という夢こそ敵わなかったものアナウンサーとして「ゴールの無いマラソン」がはじまり、それに向かって羽ばたく事になった。

フジテレビの新人アナウンサー研修のサイトをを見たら分かるとおもうけど、うどんの話から香川の丸亀で育った事が誇りで故郷をおもう気持ちが強いのが凄く感じられる。

と同時に、中村アナと不仲説が多数出ているが実際の所は仲がよく、他局の研修を受けに来た同期からは「波長が合うのでうらやましい」
といわれていたぐらいだ。
2001年のフジテレビアナウンサー試験の採用率は5000分の3で、ライバルが沢山いた本当に狭き門だ。

それを潜り抜けてきた中野アナだが、入社試験では中村アナは常に隣ににいたらしくその頃から中村アナは本当に心強い存在だったらしい。
中野アナは同期の事を”人生の節目で付き合ってくれる存在”と認めているし、これから中野アナは中村アナと渡辺アナと支えあっていくことになるのだろう。

新人研修が終わってから7月の中野アナはまず、新人アナが必ず一人向かう登竜門の「七夕中継」を無事にこなした後、新人アナ歓迎会と「中野アナ特有?」の大忙しなスケジュールは既にこのころからはじまっていたかもしれない。
中野アナのみにならず、当然新人アナは気を使うし覚えないといけない事
だらけ。

今年の7月6日~7日の27時間テレビの提供読みの大役が新人恒例でやってきた。普段は”それだけ”だが、「27時間密着」という、テレビの裏側をリポートする仕事もきた為日付が変わって、35時間寝ていない状態の中、中野アナをはじめ初泣きの提供読みが中野アナ→渡辺アナ→中村アナの順番で行われた。

当然、提供読みだけにその大トリを務めるわけだから本当に中野アナ達は大変だったとおもうが無事に提供を読み終わると、中村アナの涙につられて、人前で涙を見せない中野アナも泣いてしまった。私自身中村アナの涙の方は確認できたが、中野アナの「努力の後」の涙が見れなかったのが本当に残念で成らない。きっと中野アナは”目に見えないプレッシャー”と戦っていたのだなという事がフジテレビアナマガの研修日記を見ると伝わってきた。今後もこの経験が間違えなく活きてくるだろうし、同期の絆も一掃深まった事は言うまでもない。

そんな不規則な日程の仲の頑張りがはじまった中野アナも学生時代は、授業に遅刻しそうな事も時にはあったらしいが、会社にいるのは朝の3時30分。中野アナは大きな大役を新人アナにも関わらず、任される事になる。いうまでもなくめざましの情報キャスター(サブメイン)だ。
それが決定してからの中野アナは出来る限り、前任の吉田恵さんの動きや流れを見たりの「見学→下準備→取材→打ち合わせ→リハーサル」本番のデビューへ向けて研修を受けてきた。

中野アナの新人アナ大抜擢については色々な意見があったとおもうが、中野アナがパイオニアとして今後活躍する事により今後もこの様な事があり、未来のアナウンサー志願者にとってもいい刺激や夢を与える事になるとおもう。そのためにも中野アナに頑張って欲しい。

中野アナのプロのアナウンサーとしての戦いは9月30日にはじまったのだ。
当然、この日のめざましの中野アナは凄く緊張していた事を私は今でもしっかり覚えている。トーンのテンションも凄く高かったし、当然それは新人で初のレギュラーがしかもサブメインの大役だけにその気持ちは十分に分かるし、皆様にもわかって欲しい。それだけ彼女は一生懸命になっていた故の出来事だから。

そのデビューの翌日ごろは、中野アナの人望なのか、”かっての仲間”から「おめでとう」の祝辞が中野アナの実家に沢山かかってきた事を中野アナがDS通信で述べていたがそれだけ彼女は地元香川からも母校の慶応からも期待は凄く大きい。それが彼女の支えの一つなのは私でも分かる位だから説明はあえて省いておく。そんな中野アナはめざましMCの大塚さん、小島奈津子さん、軽部さん、奥寺さん、森さん、伊藤さん、千野さんにアドバイスを受けながら一歩ずつ階段を上り詰めていく。伊藤アナが中野アナに「この日(9月30日)が中野アナにとって恥ずかしいと思えるぐらい頑張って欲しい」に近い言葉を述べていたが、まさしくそれぐらい5年後10年後はそうあるべき中野アナであって欲しい。

めざましでの中野アナの担当するコーナーは情報キャスターだけに、MCよりは若干出番が少ないがどのコーナーも紳士的におごらず謙虚にこなしていく。その中でも、中野アナは広人苑というコーナーでは、「いま旬の人、絶対ブレイクする人を中野アナが直接会ってその人を取材していく」
中野アナは輝いている人を見てパワーを貰っているだけに、その肌で感じるその人の凄さや魅力を伝えられるように頑張っていく姿が印象的だ。
第1回のベッキーさんのときはは凄く突っ込まれっぱなしだったので凄く心配だったが少しずつこのコーナーも自分のものにしていきその頑張りが認められてか、BS,CS限定では在るが「中野美奈子の広人苑」というコーナーが放送されている。それだけ局の中野アナに対する期待が大きいのが分かる。

きっと中野アナが取材をしてパワーを貰ったと本人は言っているけど、中野アナに取材されてパワーを貰ったという人が出てくる日もそう遠くは無いだけに、今以上の頑張りに期待したい。中野アナの小さな体からみなぎる力には、それだけの秘めた力と高島アナに無い「聞き上手」さを持っているのだからその能力が今以上開花する事を願ってやまない。
12月からの晴れたら良いねでは、「みなこのeふぉま」というコーナーも担当する事になり、短い時間でセリフを覚えないといけないという大変さながら、どんなときも笑顔を絶やさずこのコーナーを物にしていく。中野アナはいずれは晴れたらに登場するし、本人もしたいらしいが、シフトの関係上今は出来ないため、涙をのんでいるらしいがいつかその夢がかなう事を願ってやまない。コスプレに関しては色々な意見が出ているが、中野アナが前向きに取り組んでいる限りは、彼女の意志を最大限に尊重したいとおもうどんなときも前を向いているの中野アナの魅力のひとつだから。

その翌年アナウンサーとして初の正月には、中野アナは高島アナ、中村アナとともに着物姿で局の代表として登場するが、
その中でもやはり光り輝いていたのは中野アナだったし、新年の女子アナSPのドッキリでは誕生日ネタで心を傷つけられ涙を流したもの、それに負けることなく頑張る姿が印象的だった。

その3月、大げさかもしれないが、中野アナにとって大きな転機を迎える。
今までめざましで中野アナに色々アドバイスをおくってきた小島奈津子さんがめざましを勇退する事が決まったのである。
その公認は中野アナとその当時から仲がよかった高島アナでめざましを「一緒に盛り上げよう」と話し合ったりしていたという。
元気のミナもとも当然紹介する相手が小島さんから高島アナに代わる事になり、若手コンビになるわけだが長年めざましをささえた小島さんがいなくなるのは私自身寂しいきもぢたった。小島奈津子さん最後の日には中野アナをはじめほとんどの出演者が「no more natsuko」のTシャツを着て小島アナとの別れを惜しみ、番組では涙を流す中野アナが印象的だったが中野アナにとって「出会いも別れであり、別れも出会い」だったに違いない。
今度小島奈津子さんと何らかの番組で共演するとき、中野アナの変わった姿を見せる事が出来れば“毎日成長すればいいのよ”とのアドバイスをはじめ、いろいろと助けてくれた小島さんへの恩返しとなる。それだけに、高島アナとの未年コンビで日本の朝に花を添えて欲しい!!
2年目も頑張れ中野アナ!!

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パン枠を断った報道志望の中野アナ

先日、新人の生野アナがショーパンで「パン枠」を復活させる事になり、中野アナが「千野アナ→高島アナ」についでのパン枠を打診されいた事が明らかに成った。その理由は「報道志望」だからだ。

中野アナは自分の夢のために新人女子アナの登竜門とも言える番組を自らの意志で断ったのだ。
それだけに、報道への思いは強い。だから中野アナは断ったのだ。

でも、すべてにおいて会社員は仕事を選べない。だからバラエティーでもきちんと活躍を彼女はこなしてきた。

だからこそ最初のレギュラーがめざましの「情報キャスター」であり、めざましMC代役の一番手でああり、
今年はより一掃飛躍しようという中野アナの願いがフジの上層部にかなってか、新潟の被災地中継、中野駅で台風中継、唯一MCの経験が無い中選挙の中継と見事な頑張りを見せてくれている。

このことで中野アナが週刊誌の目玉に悪くかかれなければと凄く心配していたがそれはそれは幸い今のところは無いがもし、万が一この様な事があれば対策は既に考えている。

中野アナは報道がやりたいのだ。その意志を彼女が心の叫びとしてめざましを除いてバラエティーと比べて割合少ない?報道番組で必死にアピールしているのかもしれない。

現にめざましでの出番も今回のリニューアルで増えているし、それは中野アナの頑張りが認められスタッフの信頼を勝ち取った証拠だと思う。
先週の産婦人科での出産の中継でも少しずつその経験が活きてきている。
中野アナのみならず私はヒト調では報道のいい土台になるのではと期待している。
これで週一回経験をしっかり積ませてもらえればスーパーニュースのフィールドりポータ-のような経験がつめるからだ。

中野アナが報道をやりたいという以上、バックアップするのがファンの勤めだし。
何時の日か、フジの報道アナといえば「中野アナ」といわれる日が来るのを心から願っている。
いつか、パン枠を断った事が認められる事を願って中野アナの未来に乾杯!!

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下半期の今後の中野アナの活躍に期待

下半期の中野アナの活躍にも皆さん沢山の勇気をもらっていると思います。

時には、先日の様に思わぬ番組に顔を出す事もあり、ビックリする事もありますが、中野アナの頑張りには頭が下がる思いです。
本当に上半期も最後の最後まで沢山の頑張りお疲れ様と心から言いたいです。

ここ最近、千野アナ→高島アナと引き継がれた「パン枠」を中野アナが断った事が判明したみたいですが、中野アナは「報道」へそれだけ強い思いが有るゆえの事です。それが、形として今年少しずつですが芽として出始めてきたように感じます。

中野アナが報道をやりたいという以上、出来る限りサイトをあげてバックアップしていきたいと同時に、報道での活躍を出来る限り中心に添えて「報道の中野アナ」を皆様の記憶に焼き付けられたらと思います。と同時に、今までの活躍の足跡を中野美奈子記念館で残して活きたいと考えています。

これからの中野アナが報道でどんな活躍をしてくれるか期待してやみません。

最後になりましたが当サイトでは中野アナ応援企画で「バースデーカードを送ろう」を検討しています。
興味がある方はhttp://nakanominako.net/nakano/6memo.html の方をご覧下さい。

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「第1段」中野さんの学生時代

かなり遅れましたが、中野アナの6年目の下半期とめざましデビュー5周年がはじまりました。中野アナにとってこの下半期がいいきっかけになればこれ以上のことはありませんl

知っている方は知っていると思いますが、中野アナ応援ブログのコラムを形態の方はひょっとするとPC歳と専門の「中野美奈子記念館」が見れないのではと思い、中野アナの頑張りを皆さんに知ってもらうと同時に、心無い週刊誌の記事を少しでもシャットアウトを目的にコラムを作成し、ブログでも随時載せていきます。

まずは「応援コラム第1段」中野アナの学生時代です。

香川の丸亀という「うどん」「うちわ」で有名な町で育った中野さんは、幼いから注目を集め、常に小中学校時代もクラスの中心で”3年連続無遅刻欠勤”の皆勤賞をもらうほどの模範生だったり、中学時代は100m走で"市内大会2位"好成績をおさめたりした。女子のグループでは常に中心的存在で行事ではみんなを引っ張る”リーダーシップ”を発揮していたという。この頃から、習い事の数が多い(日舞+バレエ+水泳+エレクトーン・中高時代ではソプラノサックス、コントラパス)ため授業が終わると直ぐに帰宅しないといけなかったとはいえ、クラスでの存在感は抜群だったという。

それにも関わらず、誰にでも分け隔てなく付き合うほど寛大さを持ち合わせていた所から、中野さんの性格の良さが形成されたように私は感じた。
おそらく中野アナの「おごらず謙虚に」という"モットー"はここから完成したのかもと感じた位だ。現に今現在の中野アナの性格はこの時代が原点だったかもと思う人は少なくは無いだろう。

香川でも有名な進学校である丸亀高校へ進学した中野さんは、イベントに熱心で高校野球には特に思い入れが強く「応援するだけでは物足りない」と言う考えで所属していた写真部では率先して野球部の写真を取るなど積極的にに活動してきた。その熱心な姿に魅かれてか高校2年生の時の夏の甲子園の予選では、「球児を追う高校生」こと応援する中野記者?の姿を地元のテレビ局でも取り上げられるほどだった。写真部に入部して間もない中野さんは、フイルムの現像で撮影したネガを真っ白にしたこともあるが、最後には撮影してから暗室作業までのすべてをこなす程まで成長した所から本当に「努力は人を裏切らない」と言う言葉が似合う人なんだろうと思う。

当時の中野さんは「東京に行きたい」と言う気持ちが強く、慶応義塾の指定校推薦を勝ち取る為に授業に日々出席し、中間期末では必ず成績を残し部活動でも実績が必要だったが見事クリアし「夢への切符」をつかみとった。

無事に慶応義塾大学(商学部)に進学した中野さんの慶応を選んだ理由は、慶応にだけ「メディアコミュニケーション研究所(旧.新聞研究所)」があったたためだ。そこは実際にテレビ局の報道で働いている人であったり、他のメディア、例えば新聞社の人であったりと、実際にメディアの現場で働いている方達の授業が受けられるから。大学に入学時の中野さんは、絶対に受からないと思っていたものそれに見事合格する事ができ、夢へとまた、一歩前進することが出来た。そこで実際に他局の報道の方と知り合ったり、新聞社の方とと知り合い見学に連れて行ってもらったりした。

そのため中野さんはますますメディアで働きたいという希望が出てきたという。まわりも”テレビ好き”が集まっていていた為、学部の枠を超えたつながりもできていき、少しずつ報道へ進みたいとの意欲を深めていく。

大学2年時の99年の三田祭では「ミス慶応」に輝く。そのきっかけからキャンパスQEEENとしてポパイの雑誌の表紙を飾る事を始めJJで活躍したり、学生時代からBRUTUSでは、政治経済ニュースを優しく解説したり、「ミス慶応が斬る」などのコーナーも開設していた。そのころから、報道で活躍する為の土台を作っていた?といっても良い位将来を構築していたような凄く意気込みを感じる。

日本テレビでのコンパニオン(アルバイト)での活躍も重ねた中野さんは、日本テレビの某番組(名前はあえて伏せておきます)ではアシスタントを月2回こなすなど、大気の君臨を咲かせていた。

その翌年の大学三年ではインターネット上でふとしたきっかけでインターネット上で新聞の記事を書く機会に恵まれる。きっと中野さんの頑張りがつかんだものではないかと私は思う。月2回の配信でネタとしてはゼミが国際政治経済という関係上、「OPECの問題や貿易問題、イラクの核問題、マイクロソフト分割問題」等、幅広いジャンルで活躍していた。新聞を読んで記事について自分がどう思っているかという事を書いて夢への階段を上っていった。そこでの中野さんは、自然の密着した意見を書ける場所で、面白さを感じていた所から確実に将来大物になると予感していた人も少なくは無いかなと思う。

知っている方は知っていると思うが、実は言う中野さんの希望「アナウンサー」よりも「報道記者」であったが、報道記者の試験よりアナウンサーの試験が速かった為アナウンサーの方から受験することになる。テレ朝、日テレ、TBS、フジテレビの順番で数々のキー局を受けるが中野アナが一番希望していて深いつながりがあると思っていた日本テレビは最終面接で残念ながら・・・。その時中野さんは凄く落ち込んだという・・・。

もう一つの最終面接のフジテレビアナウンサー試験にも無事に、コマを進める事になり、中野さんは、『第1志望:アナウンサー  第2志望:報道記者』と書いてたと思っていたところ、報道記「書」との書き込みを突っ込まれるもの「アナウンサーとして面接に来た」と上手く切り返す事ができ、見事に内定を勝ち取った。その日の18時頃、携帯電話に内定の連絡があり、その時はちょうど試験の直前の時だったという。中野さんにとっては、忘れられない日であったと同時に「テレビ局で働きたい」言う夢をかなえた一瞬だったと思う


本当に中野さんは努力を重ね、夢を勝ち取っただけに拍手を送りたいし、どうして中野さんの頑張りを心無い人は学生時代から中傷するのかな?怒りが収まらない。中野さんへの中傷は「僻み」もいくつかあったかもしれない。現に私のサイトへの投稿で嫌がらせ投稿があって問いただすと「アナウンサー試験に落ちたからうらやましくてやった。中野さんには頑張って欲しい」との言葉もあったのが現状だった。

中野さんには本当にこれだけの頑張りがあり、努力してきたからこれを是非ともアナウンサーになって活かせてほしいし、それが大きな財産と蓄えて新しいアナウンサーとしての扉の第一歩を踏み出す事になる。

2002年の4月これからは世間体が「中野さん」じゃなく「中野アナ」という肩書きが増えるし背負うべきフジテレビの看板がある。日本テレビを見返すような活躍を心から期待したいし、序章で「中野美奈子物語」がここまで素晴らしいものを築き上げた中野さんだが、本当の物語の中心は報道(アナウンサーになってから)での活躍だと思う。

中野さんが”中野アナ”になっても心から「努力は人を裏切らない」と言う言葉が生きていく限り、何時までも向上心をもってくれる事を願ってやまない。大空へ羽ばたけ中野さん!!

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中野アナを応援すると決めて丁度5年

私は5年前の8月8日に、念願の木佐アナサイトを立ち上げた。
中井アナじゃなくて良いのかと思ったりもしたが、中井アナ(フリー)はサイトがあったし掲示板に本人様の行為で書き込みもあった(フジテレビではアナウンサーが特定のサイトに書き込む事はありません)。

そして、サイトは少しずつ大きくなって行きだした。

その当時、私が行く女子アナ総本山チャットでは、中村アナに期待する人の方が多かったし、私もその1人だった。
しかし、私以外の新人中村アナ推しの人は、不思議な位中野アナを罵声する。
中野アナはそんなに某王手掲示板が叩くほど酷い人なのか?
私は中野アナという人物をこの目で知ってから、中村アナの同期として応援するのか、敵対するのか決めようと思った。

そうしながら色々と木佐さんの情報収集すると、東南風氏のサイトに行き、DS通信のことを知る。しかし、メールを読まれる人は雲の上の人だろうと決め付けていたが聞くのはただなので、掲示板に書きこみ、自分のサイトのURLを記載した。

すると、マルモ氏といういつもメールを読まれているという、メール職人の方が私の木佐アナ専門の掲示板に書き込んでくれた。
そして、東南風さんをつうじて、DS通信の大先輩とも言えるマルモさんからメールを頂き、DS通信に興味を持つ。

私は、木佐アナで初採用を狙うはずだったが、当然彼女は産休中だったので出演は無い。

なら、中村アナだ。当時、女子アナの総本山チャットで新人アナならファンレターの返信が変える確率が高いと聞いた事があるし、今後一番期待したい女子アナだけにこのアナで勝負を掛けようと思った。

だが、中村アナよりも中野アナの方が出演日が速い。なら、中野アナでもし、メールが採用されたら自信も付くと思ったし、中野アナのことは応援こそしているもの、色々と騒がれているのでどういう人なのだろうと興味もあった。
DS通信の影響で、私の中で中野アナと中村アナの位置づけが大きく逆転するなんてこの当時は夢にも思っていなかった。

そして9月9日、中野アナの配信にいくつかメールを出した。
他の方のメールが次々に読まれていく、当然、色々通してくれたマルモ先生も採用された。私なんかが採用されるはずは無いとネットの接続を切ろうとした時が、私と中野アナの出会いだった。

私のメールが採用されたのである。ビックリした。
自分がつい数分前書いたメールを女子アナが読んでいるのである。
そのメールの内容は質問攻めだったが、彼女は丁寧に答えてくれた。

中野アナに好きな言葉も質問したが紙に書いて「努力は人を裏切らない」という言葉を書いて教えてくれた。
担当したい番組はめざましテレビと答えてくれた。これは無理は無いだろう。

この数分後も、また中野アナにメールを2枚連続で読まれた。
中野アナに悩みも相談する事ができた。

なんだかんだ言っているうちに楽しい30分は終わってしまった。
なぜか、中村アナの配信でも成功したいと思う意欲がなぜか失せた事が、中野アナの次の配信で頑張ろうと言う意欲に変わっていたのに気が付きはじめていた。私が「小久保HR」になる事も少しは予感していたがまさか奇跡が起こる事になった。

その前触をわずかに感じたのが、中村アナの配信だったが、どうも自分が思っていたほど力が入らない。文章は作れたし、念願だった中村アナで採用されたが、その喜びが思ったより少ない。どうしてだろうか・・・。

その理由が中野アナに気持ちが動いていたからだった。
そして、私は9月30日の中野アナのめざましデビューの配信で決断をすると同時に、そのアナを応援する事を決意する。
自分が応援すべき新人アナを誰にするかを・・・。

私自身、毎日DS通信にメールをするのが日課になっていたらあることに気が付いた。中野アナの配信で採用されなかった悔しさの方が、中村アナで採用された嬉しさより勝っていたのである。あれ?と思ったが良く考えるとそれが私と新人アナとの本当の出会いであり、自分自身の転機だった。

しかし、今となってはそれが私にとっては不幸中の幸いだったかもしれない。
中野アナに採用されたときの喜びが忘れられない。はじめてだから?それは誰もはじめての採用は嬉しい、それはあると思う。
しかし、何か中野アナに心を魅かれて行った。それが自分の眠っていた気持ちを覚ましたのかもしれない。

私は昔から新人アナの頃から一人の女子アナを応援したいという事。それは女子アナファンになって一度もやった事がないから、応援し見守り続けたいし力になりたいと思った。

それはいうまでもなく、中野アナのファンになることができ、一番最初にファンサイトを立ち上げる事が出来たからだ。
私は中村アナにしようと私は決めていたが、私はもうひとりの女子アナを応援する事を選ぶことになった。
そして5年の日々がたち。中野アナのサイトを誰よりも速く立ち上げて沢山の仲間に助けられてここまでこる事ができた事を心から感謝しています。
私もへなちょこでもそれなりにがんばってきたからなんとかどんなピンチも切り抜けてこれた。
もうすぐ、一区切りつける事になる。これからの為にも、自分自身にけじめもつけたい。
中野アナ5周年に花を添えるという夢と、自分自身の「復活」へ向けて本当の戦いがこれからはじまった!!
こんな私ですが皆様よろしくお願いします。

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