中野アナを応援すると決めて丁度5年

私は5年前の8月8日に、念願の木佐アナサイトを立ち上げた。
中井アナじゃなくて良いのかと思ったりもしたが、中井アナ(フリー)はサイトがあったし掲示板に本人様の行為で書き込みもあった(フジテレビではアナウンサーが特定のサイトに書き込む事はありません)。

そして、サイトは少しずつ大きくなって行きだした。

その当時、私が行く女子アナ総本山チャットでは、中村アナに期待する人の方が多かったし、私もその1人だった。
しかし、私以外の新人中村アナ推しの人は、不思議な位中野アナを罵声する。
中野アナはそんなに某王手掲示板が叩くほど酷い人なのか?
私は中野アナという人物をこの目で知ってから、中村アナの同期として応援するのか、敵対するのか決めようと思った。

そうしながら色々と木佐さんの情報収集すると、東南風氏のサイトに行き、DS通信のことを知る。しかし、メールを読まれる人は雲の上の人だろうと決め付けていたが聞くのはただなので、掲示板に書きこみ、自分のサイトのURLを記載した。

すると、マルモ氏といういつもメールを読まれているという、メール職人の方が私の木佐アナ専門の掲示板に書き込んでくれた。
そして、東南風さんをつうじて、DS通信の大先輩とも言えるマルモさんからメールを頂き、DS通信に興味を持つ。

私は、木佐アナで初採用を狙うはずだったが、当然彼女は産休中だったので出演は無い。

なら、中村アナだ。当時、女子アナの総本山チャットで新人アナならファンレターの返信が変える確率が高いと聞いた事があるし、今後一番期待したい女子アナだけにこのアナで勝負を掛けようと思った。

だが、中村アナよりも中野アナの方が出演日が速い。なら、中野アナでもし、メールが採用されたら自信も付くと思ったし、中野アナのことは応援こそしているもの、色々と騒がれているのでどういう人なのだろうと興味もあった。
DS通信の影響で、私の中で中野アナと中村アナの位置づけが大きく逆転するなんてこの当時は夢にも思っていなかった。

そして9月9日、中野アナの配信にいくつかメールを出した。
他の方のメールが次々に読まれていく、当然、色々通してくれたマルモ先生も採用された。私なんかが採用されるはずは無いとネットの接続を切ろうとした時が、私と中野アナの出会いだった。

私のメールが採用されたのである。ビックリした。
自分がつい数分前書いたメールを女子アナが読んでいるのである。
そのメールの内容は質問攻めだったが、彼女は丁寧に答えてくれた。

中野アナに好きな言葉も質問したが紙に書いて「努力は人を裏切らない」という言葉を書いて教えてくれた。
担当したい番組はめざましテレビと答えてくれた。これは無理は無いだろう。

この数分後も、また中野アナにメールを2枚連続で読まれた。
中野アナに悩みも相談する事ができた。

なんだかんだ言っているうちに楽しい30分は終わってしまった。
なぜか、中村アナの配信でも成功したいと思う意欲がなぜか失せた事が、中野アナの次の配信で頑張ろうと言う意欲に変わっていたのに気が付きはじめていた。私が「小久保HR」になる事も少しは予感していたがまさか奇跡が起こる事になった。

その前触をわずかに感じたのが、中村アナの配信だったが、どうも自分が思っていたほど力が入らない。文章は作れたし、念願だった中村アナで採用されたが、その喜びが思ったより少ない。どうしてだろうか・・・。

その理由が中野アナに気持ちが動いていたからだった。
そして、私は9月30日の中野アナのめざましデビューの配信で決断をすると同時に、そのアナを応援する事を決意する。
自分が応援すべき新人アナを誰にするかを・・・。

私自身、毎日DS通信にメールをするのが日課になっていたらあることに気が付いた。中野アナの配信で採用されなかった悔しさの方が、中村アナで採用された嬉しさより勝っていたのである。あれ?と思ったが良く考えるとそれが私と新人アナとの本当の出会いであり、自分自身の転機だった。

しかし、今となってはそれが私にとっては不幸中の幸いだったかもしれない。
中野アナに採用されたときの喜びが忘れられない。はじめてだから?それは誰もはじめての採用は嬉しい、それはあると思う。
しかし、何か中野アナに心を魅かれて行った。それが自分の眠っていた気持ちを覚ましたのかもしれない。

私は昔から新人アナの頃から一人の女子アナを応援したいという事。それは女子アナファンになって一度もやった事がないから、応援し見守り続けたいし力になりたいと思った。

それはいうまでもなく、中野アナのファンになることができ、一番最初にファンサイトを立ち上げる事が出来たからだ。
私は中村アナにしようと私は決めていたが、私はもうひとりの女子アナを応援する事を選ぶことになった。
そして5年の日々がたち。中野アナのサイトを誰よりも速く立ち上げて沢山の仲間に助けられてここまでこる事ができた事を心から感謝しています。
私もへなちょこでもそれなりにがんばってきたからなんとかどんなピンチも切り抜けてこれた。
もうすぐ、一区切りつける事になる。これからの為にも、自分自身にけじめもつけたい。
中野アナ5周年に花を添えるという夢と、自分自身の「復活」へ向けて本当の戦いがこれからはじまった!!
こんな私ですが皆様よろしくお願いします。

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中野アナという存在を知る前の自分

2002年6月、私は一つの決断をした。木佐アナのサイトを立ち上げる事だ。

当時、木佐アナは産休中だったので、「逆タイムリー」と笑われたが好きならやるしかない。

木佐さんのサイトは立派なものがあったが、更新はその時はされていなかったから自分が頑張ればと思った。

新しく歴史が浅いが、逆に頻繁に更新していけばチャンスだと思ったのだ。まだ、HTMLもろくに知らない私はビルダーをかって一応の形でサイトを8月8日に立ち上げた。
チャットもメンバーは少ないが3人だったのでそれが私が管理者としてファン同士のはじめての交流だった。

話は戻って木佐アナのサイトを立ちあげる事を前提に情報収集を4月ごろからアナマガでしていると、毎年恒例の新人アナ研修日記がある。
そこで私は新人アナを見たところ学生時代いろいろと言われていた中野美奈子さんも当然紹介されていた。

今だから言えることだが、中野アナより中村アナの方を応援するつもりにしていた。
その決め手は木佐アナを目標としてくれる事だ!!木佐アナという存在を私が知ったのは、そんなに速い方ではなかったが、ましてや木佐さんを2番目とは言え、尊敬する人に上げた後輩がいなかったのが嬉しかった。

いろいろと木佐さんの笑っていいとものウミガメを週刊紙はボロカスに書いてくれたがあれは、タレントの皆さんが頑張っているのでアナウンサーの私も何かをやらないといけないという気持ちを番組で表した事を理解してくれたのだ。
ちなみに、中野アナも木佐さんに学生時代あったことがあるが、そのエピソードは今の私も知らないし、あまり知られていない。

もうひとつの決め手は荒瀬さんの御茶ノ水大学の後輩だとい言うことだ。サークルまでも同じでアナウンサーになった理由が「荒瀬さん」だと言うと、
荒瀬さんが辞めた2001年4月からの一年の空白が清楚な所が中村アナと似ているからその空白を埋めてくれる存在になってくれると期待していた。
と同時に彼女の希望は「スポーツ」だ、荒瀬さんも入社2年目からスポーツを担当していたので共通点がある。

不思議な事に今となれば木佐さんも荒瀬さんも石井さんだ。街を歩いていた武田アナと島田アナにお二人は「石井アナと同期ですね?」と町を歩いている二人に声を掛けた事があるが、彼女達は何故?というので「武田アナは彩子さん、島田アナは詩織さんでしょう?」というと一緒にいた女性スタッフも彼女達も納得し、話は弾み、別れる時は「石井アナによろしく」といったので爆笑だった事は今となってはいい思い出だ。

それだけに新人の中村アナに思い入れもあり、きっかけもそれなりにあった。私は「中村アナのサイトを誰よりも速く立てよう」と言う気持ちはひそかに持っていたが、それがまだ私の体と心にあったことに気が付いていなかった為、これを悔やむ事になったが、それが「ある転機」のおかげで幸いした為、悔しさを活かす(この意味は次回お伝えします)ことができ、失敗もあったがここまでがんばれた今の自分がある。

「転機」が訪れなければ、こうやって皆様と知り合う事も、私が「小久保HR」に成る事はありえなかった。この転機が私自身を大きく色々な意味で良い方向に変わっていく事になるが、次回詳しく紹介したいと思います。

話は戻って、ファンサイトには序列と言うものは無いし、どんなにいいサイトが出来ても本人様のサイトよりは当たり前の事だが存在感は薄いのは言うまでも無い。しかし、同じファンサイトなら先に立てたほうが注目は集まるし、一つしかない状態でそのアナが注目されファンになると、交流、情報収集の選択肢が一つしかないので自然とそこに集まる。と同時に、よほど失敗しなければ、他のサイトを立てたい人がいても、先に立てたサイトがあるので立てず、協力してくれる可能性もあるというメリットがある。

その当時の私は中野アナのことは色々と心無い人に叩かれているので、負けないで頑張って欲しいと言う意味で注目、応援していた。
彼女が中村アナにとっての最大のパートナー?になるのではと言う意味で、事実上「もう1人の新人アナ」と考えていたぐらいだ。

しかし、あることが転機で「もう1人の新人アナ」と出会い、彼女を本格的に応援する事になる。それが、木佐アナを、いや、中井アナを応援していた頃からはたせなかった夢を結果的に叶える事になる。

1人の新人アナを最後まで応援し見届けたいという願いを・・・・。

次のこのタイトルの時には、このサイトとブログの主役の中野アナの登場であり、中野アナとの出会いや中野アナを応援しようと決意した事を明らかにしたいと思います。

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大切な仲間に心から感謝!!

土曜日からから27時間テレビを見て思いましたが、仲間の大切さを凄く痛感しました。

私はサイトを中野アナが「アナウンサーとして初の誕生日」に立ち上げましたが、一部の心無い人間を除いて沢山の人に支えれてきました。

中野アナは丁度5年前の9月30日のめざましデビューから「終わりの無いマラソン」がはじまり、今も不規則な日程の中歯を食いしばって毎日を頑張っています。

今年は中野アナが6年目になり、区切りの5周年と言う事で盛大にみんなで何かが出来ればと思い頑張ってる所存と同時に、自分なりに一生懸命頑張ってきました。

私がすべてにおいて完璧じゃないのはもう、わかっていると思いますがいろいろな方に助けられて来ました。

ここまで来れたのはこのサイトの事を理解してくれた中野アナ、フジテレビ様、関係者の方はもちろんTDR1983元副管理人さん、一匹狼元助役さん、をはじめBURNさん、CXファンさん、東南風さん、マルモさん、負男4xさん、お台場バンザイさん、Masaakiさん、その他沢山の方々のおかげだと痛感しております。

「中野アナ」という存在を知った5年前と比べるとDS通信が無くなり、まる生の体勢が変わったからか、女子アナとそのファンとの交流方法の変化を感じると同時に、その影響もありサイトの常連さんもチャット参加メンバーも随分と顔ぶれが変わってしまいました。
当然2年前の失態も原因があった事は否めないというのは確信しています。

あの頃のメンバーの皆さんはどうしているのかな?とふと思い出した所、いろいろお世話になった元副管理人のTDR氏がチャットに2年ぶりに足を運んでくださり、久しぶりに懐かしい話をする事ができ嬉しかったです。

何はともあれ、一昔前をさせえてくれたDS通信時代からの常連の皆様が今、何所で何をされているのかわかりませんが私は心無い人間を除いてかけがえの無い仲間と今も思っていますし、またいつか積もる話が出来るように今を頑張ろうと思います。

あの頃を支えてくれた皆さんの活躍を本当に心からお祈りしています!!
今いる仲間を大切にしていく事も、サイトの引継ぎで新しく足を運ばれるようになった方も、もちろんかけがえのない大切な仲間です。

中野アナの応援活動を中心に、その活躍に負けない事はもちろん、サイトの繁栄と復活をめざして頑張ります。
これからも皆様よろしくお願いします。

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「中野アナ」という存在を知る前の私

中野アナのサイトを立てて丁度4年半の月日が、いつの間にか流れていた。

自分自身は女子アナファンになって14年だが、ここまで夢中になって1人の女子アナを「新人の頃」から応援しているとは正直思いませんでした。
タイトル名「過去があるから、今がある」では当サイトが出来るまで~中野アナファンになっての今までのいきさつを語ります。

私が、女子アナファンになったのは中学時代「プロ野球ニュース」に出ていた中井美穂さんがきっかけでした。
この人も良く考えると「ナカミ」と呼ばれてもおかしくなかった(ミポリンが愛称でした)し、中野アナと同期の中村アナもナカミなのにそう呼ばれていないのが今となっては話しはずれるが不思議なものです。

中井さんがフジを退社したときは凄く落ち込んだものでその後、木佐さんを97年頃から好きになり、その頃からネットをするようになり、色々な
女子アナ(アナウンサーファン)とチャットで掲示板をするようになった。

木佐さんのサイトは会ったもの、私は管理人や関東在宅の情報通に凄い嫉妬していた、ろくにサイトも作りきれないくせに・・・。
その木佐さんが大好きだった私は木佐さんが好きだと言う事を前面に出して色々とチャットや掲示板に顔を出していく。
どこに言っても、木佐アナファンを誇りに、ネットでの知人や友人を広げていったし、木佐さんの悪口を言われたらその人にチャット等で噛み付いた。

木佐さんがフジの女子アナで一番好き(当時)と言うと、大学時代の友人は八木アナ、小島アナファンが圧倒していて馬鹿にされたのが本当に悔しかったがそれがバネとなり、唯一の特技のディベートでは上級生と五分以上に渡り合い、私を軽蔑する人間までが私をこの事に関してだけは認めてくれた(そのときの勇気のミナもとは木佐アナのトレカであり、それを常に携帯していた)。

学生時代、女子アナの話題となると、木佐アナが好きというだけで小島奈津子ファンや佐藤里佳ファンにいつも馬鹿にされるが、木佐ファンだからズバズバ言いたい事がいえるんだぞ!と言ってやると少しは納得してくれたので嬉しかった。

と同時に荒瀬詩織アナも応援していたが、その当時掲示板のみを運営しているライバルがいて、互いが相手を認めての状態で「この人には負けたくない」と言う気持ちを持ち続けながら、手を組んでプレゼントをしたりしていた。ファンレターも木佐アナと同じぐらい書いていましたし、幸い返事も3通も頂く事ができたし、ライバルを通じて1ファンにも関わらず、私の本名まで覚えていただいたので今となってもいい思い出である。

当然、関係者の足元にも及ばない1ファンに過ぎない人間の争いに過ぎないが、その人にだけは毛虫より嫌われないゴキブリでもいいから負けたくなかった。

当然、勝敗は荒瀬さんが最終審判である以上その評価は当然分からない。
となれば評価はそれが分かるまでは第三者にゆだねるしかない。
しかし、結果は「負け」の方が多かった・・・。
最終審判が「私の負け」と言えば潔く認められるだけに、すべてにおいて納得はしていないが「負け」を受け入れる事にした。
この悔しさを活かす場面は、絶対に来ると信じていたが、しかし、そのライバルは女子アナファンを引退してしまったのでリベンジは出来ないまま・・・。負けた傷心ももちろんあるが、それよりもその相手に勝って雪辱をはらす事が出来ないことの方が正直大きかった。

そして、2001年3月に大学を卒業したとき、木佐さんはすでに関東ローカルになり産休をとる、荒瀬さんは引退。

私の女子アナファン生命は終わったかと思ったし、いつも行くチャットでは「第二の木佐」を見つけたらとアドバイスを貰った。
何も仕切れないくせに、僻みの目線で見ていた木佐さんのサイトもいつの間にか書き込みが無くなった。

その当時、ミス慶応の肩書きをもつ「中野美奈子」いう”学生”を知った。
フジに内定をもらていた事を理由?に王手掲示板で色々と叩かれてて可哀相だったと言うのが正直な印象だった。

この人を応援していく事になるとは今だから言えるが全く思っていなかった、が2002年私にとって大きな転機が訪れる。

次回の「過去があるから今がある」では、2002年に入社した中野アナとの出会い(小久保HRのDS通信デビュー)について語りたいと思います。

EZCOOLさん>
はじめまして、本当に事実無言のプライベート報道には怒りが収まらないものですし、週刊紙のカメラマンや記者達に自分が逆の立場だっどうかと言いたいです。事実無言の結婚事件についても、中野アナをはじめ、ファンの気持ちを代弁したいと思います。
これからもよろしくお願いします。

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